【レースレポート】ツール・ド・おきなわ2025
昨年は沖縄で発生した戦場降水帯により、北部で土砂崩れや名護市内で道路の冠水が起こり中止になったため、実質今回が初参加。
そのような想いもあって、今年最後のレースでもあるので、
2025年の集大成として目標とする200kmのコースを完走できるか。
レース当日が11/9(日)のため、今回は11/6(木)に現地入りして本番に備えます。
出発前
関東近郊であれば車を借りて移動するので、ホイールを外すくらいで済むところ、沖縄へ行くには、飛行機に自転車を持ち込むため、一部バラさないといけません。
加えて電動変速や油圧ディスクブレーキのバイクの場合は、バッテリーが稼働しないようバッテリーの取り外しや線を抜く、
事前にSDSを容易しておくなど万が一空港で確認を求められても説明ができるよう準備します。
現地に持ち込むバイクはあらかじめ宿泊先に確認を取ったうえで送ることも考えましたが
自分で持ち込んだ方が安く上がるので、オーストリッチOS-500の輪行袋に収まる形で自転車を分解して梱包します。
今回取り外した部品が前後ホイールとリアディレーラーとペダルとサドルは高さを下げて、
電動変速の線はあらかじめ抜いてマスキングテープで固定しておきます。
油圧のブレーキはエア噛み防止のため、ダミーパッドをブレーキパッドの間に噛ませてレバーを握った状態で固定するため輪ゴムで縛ります。
あとはフレームを梱包資材で補強して隙間に衣類を入れて緩衝材代わりにして航空会社で
定められている重量20kgを超えないように工夫しながら機内持ち込みできない他の工具類などを積めていきます。
Day1(木)
沖縄に乗り込む日。移動がとにかくハードです。
16-17kgの輪行袋を肩にかけながら、10kg近くあるリュックを背負って羽田空港に向かうので
移動疲れは相当なものです。
移動の最中も自転車をぶつけたり倒したりして不必要な衝撃が加わらない様に
自分の身体以上に気を使いながら公共交通機関を使って羽田空港へ向かいます。
羽田空港へ着いたら手荷物預けのカウンターへ行き、自転車を預けます。
その後、保安検査場を通過した時点で登場時刻まで1時間半近くあったので、昼食を済ませて気長に搭乗便のアナウンスを待ちます。

搭乗後色々と注意事項をはじめとしたアナウンスが続きましたが、昨年と異なるのは、モバイルバッテリーに関する注意が加わっており、
機内に持ち込む鞄ではなく、手元に置くか座席のポケットに入れるよう案内がありました。
昨今、モバイルバッテリーが発火するニュースを時折耳にするので、注意しないといけないですね。

現地に到着して預けた輪行袋を受け取り、中身の破損がないか確認した後は予約した車を借りて
初日のホテルに向かいます。
本当は名護市内まで行けばよかったのですが、移動疲れを考慮して近場で1泊してから翌日向かうことに。
ホテル周辺の地元の定食屋で夕ご飯を済ませて翌日に備えます。

Day2(金)
今日は名護市内ヘ向かい、レースの受付を済ませて、コースの一部を試走するために道の駅ゆいゆい国頭へ行く予定です。

会場へ着いたものの何故か人がいない…。
それも当然、受付開始が12時にもかかわらず確認不足で10時半過ぎに会場に来てしまう凡ミス。
ここで待つ時間がもったいないので、試走後にもう一度会場に立ち寄って受付を済ませる予定に変更。

ところが道の駅へ向かう最中、突然の雨。
天気予報が良くなかったのでこの後、雨の中走って点灯や体調を崩すリスクを考慮し、予定を変更して金曜日に車でコースの下見、
前日の土曜日は試走に変更し、この日はサクッと昼ごはんを済ませてコースを下見がてらドライブします。

車でコースの200kmを見て回りましたが、Googleマップや高低差のグラフを見るだけと車からでもコースを実際に見るのとでは雲泥の差があり、
データで見たイメージよりアップダウンがキツそうに感じられました。
200km運転するのも中々、疲れるもので休憩を挟みながらコースの下見を終えます。

スタート地点の名護市内に戻ったら受付を済ませて晩御飯を食べてこの日は終了。
明日の試走に向けて早く寝ます。
Day3(土)
レース前日。
前日と予定を入れ替えて、試走のために道の駅ゆいゆい国頭へ。
そこからコースに沿って沖縄北部を横断して最北端を反時計回りに70kmほど軽く走って明日に備える予定です。
天気は晴れて雨も降らず、試走には良い天候。
今日の予定は低い強度とはいえノンストップで走る予定でしたが、沖縄本当北端をはじめ何回か足を止めて景色を堪能します。


結果的に低い強度で走るはずが、テンションが上がって想定より強度がだいぶ高くなってしまいました。
多少、明日に響くが致し方がない。
試走終了後、道の駅でアグー豚を使ったハンバーガーで昼を済ませます。

車で名護市内まで戻ったら少し早い晩御飯としてソーキそばを食べてこの日は終了。

ホテルに戻ってからゼッケンや補給食の準備を済ませて明日に備えます。

明日は200kmを走りながら補給を取るので、大量の補給食をポケットがパンパンになるまで詰め込みます。
写真に写っていない飲み物の分も含めて2000kcalほどを準備。
ハンガーノックになったら終わるので、多めに準備をします。
全て準備が終わったら後は早く寝て少しでも回復をして明日に備えます。
Day4(日)
レース当日
朝は4:30頃に目覚ましをかけて起床。

5:00から朝食を手短に済ませて会場に向かいます。
さすが沖縄といったところか予報では晴れだが、朝少し雨が降ったようで路面がウェットに。
スタート直後は、先月走ったもてぎエンデューロ同様に顔面に泥水のシャワーを浴びながらの走行になりそうな状況でした。
天気予報は晴れで最高気温が30℃に迫るので、暑さに対する耐性が心配なところ。


コースは序盤70kmの後はアップダウンが続く非常に厳しいコース。
今回、ホビーレーサーにとってポピュラーな市民200kmではなく、完走目的で新設されたチャレンジ200kmで参加。
スタート前に大会関係者から案内がありましたが、チャレンジ200kmが最も完走が難しいカテゴリーです。
レース開催に伴い、コース上で交通規制が行われている関係で、決まった時間に足切りの関門を通過する必要があります。
チャレンジ200kmのスタートが市民200kmの2,3分後であることと、序盤70kmが平坦なため、集団の大きさがモノを言います。
市民200kmが200人前後に対して、チャレンジ200kmは30人前後しかいないため、
後々のアップダウンを考えると平坦区間をいかに速い速度でかつ省エネでクリアできるかが完走できるかの鍵を握ります。

スタート前の様子です。
今日この日のためにトレーニングを積んできた猛者が集まっています。
逞しい足に惚れ惚れするとともに、もっと鍛えなければなと痛感します。
レースの展開は、序盤の平坦区間を早くクリアするために一部の人たちが協力して先頭を引いてローテーションして走ります。
後半足にくるリスクはありますが自分もそこに加わって集団の速度維持に協調し、
途中で前で落車に巻き込まれた人たちを吸収しながらレースを進めます。
今年の市民200kmは逃げが生まれるもメイン集団はスローペースだったらしく、
スタートから50kmは過ぎていたかと思いますが、なんと前に追いつくという状況が起こります。
そのまま大きな集団のまま最初の登り(普久川ダムの登り)に入ります。
この区間が5km半ほどの比較的長い坂で早い人はスルスルと駆け上がっていきますが、完走目的の自分にとってはここは無理せず登り、
この先を下ったところで足の合いそうな人と協調して感想を目指す算段でした。
ちょうど登坂区間に入ってから暑さが気になりはじめたところです。
最初の登坂区間が終わり下り基調の区間を安全に処理して沖縄本島の北東部のエリアに出ると完走目的の人がチラホラ集まって一定のペースで進んでいきます。
(厳密には別カテゴリーとの混走は認められていませんが、着順を争う位置ではないので大目に見てください)
単独で走り続けることによる消耗は避けたいので、若干ペースが早くても頑張って着いていきますが、
スタートから100km前後にある奥の登り(距離4km前後)で千切れます。
無理をし過ぎて後々ダメージを負っても仕方がないので、後ろから足の合う集団が来ることを願って単独で走り続けます。
最北端のエリアをクリアして西側の海岸線沿いに入ると風の影響をモロに受けてペースが落ちます。
加えて単独走を続けていたことによる足のダメージが想像以上で後ろから来る別カテゴリーの集団に一瞬で抜かされます。
その後、後ろから単独で来た別カテゴリーの選手の後ろに着かせてもらって風を凌ぎますが、
ローテーションで前に出て間も無く両腿が攣る事態に。
この時120km地点で残り80kmをどう走るかなと頭を悩ませました。
夏場の暑熱順化の効力は沖縄入りする時点で失われ、
暑さに対する耐性が無かったこともあり、脱水症状になったものと思われます。
ふくらはぎが攣った経験はあり、何とか凌ぐことはできても両腿は初めてで一気にペースを落とします。
足攣り寸前の状態が続く中、少し回復して痛みを誤魔化しながら海岸線を30km/h前後で走り続けますが、
2回目の普久川ダムの登り再び両腿が悲鳴を上げます。
登りの途中で脱水症状に加えてふくらはぎも攣り速度がガクッとペースが落ちます。
速度が一桁台を超えられず、登坂区間をクリアした時点で平均速度が30km/hちょうどまで落ちていたので、
この時点で完走は無理だと悟りました。
その後は、どこまで走れるか一つでも先の関門でリタイアしようとペース配分を考えずに限界ギリギリのところで踏み続けました。
最終的には、160km地点の宮城関門で赤旗を振られてタイムアウト扱いとなり、私のツール・ド・おきなわは終わりました。

こんな感じで自転車をトラックに積んでもらい、選手はバスに収容されて名護市内へと連行されました。
バスの中は選手で埋まって空きの座席はほぼなく、完走ハードルが高いレースであることを痛感しました。

走行データはこちら。
完走できなかったことがただただ悔しい限りですが、前日の試走で踏み過ぎたことをはじめ、
大会前の練習や休息の取り方などレース前の過ごし方を振り返ると反省すべき点が多々あり、加えて単純に練習と実力の不足を痛感するレースでした。
もし、来年参加することが叶うなら何としても完走したいものです。
そのために、2026年も練習を積み重ねて更なる高みを目指していきます。
それでは、また。
