スバルの歴史
(Kさん)
私が幼少の頃は、両親がずっと日産車でしたので、車はトヨタよりも日産というイメージでした。
父が買った「テラノ」が広くて秘密基地みたいで大好きではしゃいでましたし、広告塔にイチローがいて「イチロー・ニッサン」というキャッチフレーズが印象的でもありました。
そして、高校の時は親友が「俺、将来スカイラインに乗るんだ」と鼻息が荒かったのを思い出しました。
プリンス自動車という会社名はピンときませんでしたが、「日産プリンス」と聞くと聞き馴染みがあり、ここで社名と繋がりました。
あの時代にEV自動車を作っていたのは驚きでした。ただそういった会社の技術や勢いを削いでしまうのも「戦争」なのですね。
(Kさん)
中島飛行機の技術者が財閥解体によって飛行機の開発をできなくなっても、それぞれの環境で自動車をはじめ、戦後のものづくりに多大な影響を与えていったことが感じ取れます。
技術だけでなく、製品開発に注がれる情熱が周囲に伝播し、次の世代に受け継がれていったことで今日に至る日本の発展に大きな貢献を果たしてくれたのだなと思いました。
(Sさん)
勉強会はプリンスや日産 スカイラインについての歴史を学びました。
まさか実家のすぐそばの公園がそんな成り立ちだったとは。
ちなみに元日産のあった場所のそばにダチョウ倶楽部の肥後さんの家があります。
技術を腐らせずそれを武器にして力強く生き抜き日本を支えてくれた技術者さんに感謝したいです。
逆境を糧に知恵とアイディアを生み出し良いものを作り続けた精神は、全ての仕事に通づるところがあると思います。
父や祖父も技術者でしたが、追求していく努力は今も目にするので見習いたいです。
